さて、今回は私たちが気づかぬうちにやってしまう、「相手を追い詰める話し方」について考えてみましょう。
これはアサーションの研修で扱うケースなのですが、
「マネジャーのAさんは、ある年上のメンバーBさんの威圧的な振る舞いが気になる。
ミーティングではきつい言い方で他の人の意見をバシバシ否定し、若いメンバーをけちょんけちょんにしてしまう。
そこでAさんは、Bさんと話し合いを持つことにした」
という状況です。
こんなとき、マネジャーAさんとメンバーBさんの話し合いで生じやすいすれ違いはこうです。
Aさん「Bさん、さっきのBさんの言い方だけど、ちょっときついんじゃないかな」
Bさん「え、そうですか、そんなことないですよ。あれぐらい普通です」
Aさん「…(え~!!)」
こちらの感覚と、相手の感覚がまったく違う。
こんなすれ違いがあったときに、私たちはどうしてしまいやすいか。
なんとか相手に自分の感覚の正しさを受け入れさせようと、何らかの「力」を使いだしてしまいます。
例えば…
①「みんなBさんの言い方はきついって言っていますよ」
これは一体どんな「力」を使ったのでしょうか。これは「数の力」です。自分一人の頭数では足りなかったので、その場にいない誰かを巻き込み、自分の主張の重みづけに使ってしまったやり方です。
こんなふうに数の力を使われるとBさんはどう思うでしょうか。
「みんなしてコソコソ私の悪口を言っていたのか!」と強い傷つきや疎外感を感じたり、「いったい誰がそんなこと言っているんだ!」と疑心暗鬼になります。
あるいは…
②「その考え方は古いですよ。今どきそれではパワハラと言われてしまいます」
これはどんな力でしょうか。これは「常識の力」で、これも「数の力」の一つとも言えます。
常識とは、「今の時代の大多数の人が支持する考え方(時代が変われば移り変わるもの)」という意味で、やはり数の力ですよね。
この常識の力を使うと、「あなたは時代遅れの人」というレッテルを相手に貼ってしまいかねません。このような劣勢に追い込まれたBさんは「今どきの若い奴らが弱っちすぎるんだ!」という、また別の方向への攻撃にすり替わってしまうこともあります。
さもなくば「だったら言っていい言葉とダメな言葉のルールブックを持ってこい!」ですとか、「私の言い方でパワハラ判定が出たという裁判事例の証拠を出
せ!」など、「ルール」や「法律・判例」など、別の「力」をこの場に持ち込ませることにもつながります。
「力」を持ち出して相手に勝とうとしたことで、まさに「力比べ」が始まってしまうのです。
本当はこんな話がしたかったのではないはずなのに…。
そこで、話し合いに、何らかの「力」を持ち込むのをやめましょう。
Aさんとしては、一番「無力」で、でも一番「率直」なことを伝えれば十分です。
Aさん「そうでしたか…。ただ私は、さっきの言葉は、聞いているのが辛かったです」
自分の気持ち以上の「パワー」はそこに必要ありません。(だけど私はこれが一番「パワフル」なメッセージだと思うのですが、どうでしょう?)
言い争いになったとき、何とか自分の言い分を受け入れてもらいたくて、私たちはつい何らかの「パワー」を持ち出してしまいがちです。
ただ、そのとき、議論に勝つことはできるかもしれませんが、相手との間には禍根を残すことになります。
自分が無自覚に何らかの「力」を使っていないか、十分気をつけていきたいですね!