先日、こんな出来事がありました。
外出の合間にカフェで休んでいたところ、車いすを押した老夫婦が店に入ってきたのです。
私の隣の席はスペースに余裕があり、車いすを収めるには丁度よさそうな席でした。
ところがゆっくりと車いすを押して近づいてきたご婦人は、注文待ちをしている人がすでにその席を取っていたことに気づき、「ダメね…」と諦めて店を出ようとしました。
すると席を取っていた人が事情を察し、列を離れてわざわざその席を譲ってあげたのです。
店員さんは老夫婦に席に座ってもらい、その場で注文と会計を済ませ、品物を席まで運んできてあげていました。
無事私の隣の席に収まったご夫婦は、「よかったね~」「親切な人がいるものね~」「米粉のケーキが食べられるとは思わなかったわ~」「おいしいね~」とそれはそれは幸せそうにその時間を味わっていたのです。
隣で一部始終を見ていた私は「なんて心温まるシーン…!」とこちらも幸せな気持ちになりつつ、もう一つ強烈に思っていたのは「私だってあの輪に混ざりたかった…!!」ということ。
私だって、車いすを置ける席に座っていたら、喜んで譲っちゃいましたよ!!
どうです、皆さんもご同意いただける気持ちじゃありませんか 笑
不思議なものですよね、全くの赤の他人であっても、私たちは何かその人が困っていて、してあげられることがあればしてあげたいという気持ちになるものです。
そうして相手のために行動できると、とても心が満たされます。
さながら、私たちには「思いやりを人にかけたい!」という欲求が備わっているかのようですね。
実はこのように私たちの脳には、「思いやりをかける」「思いやりを受け取る」ということに喜びや幸せを感じる感情のシステムが備わっています。
哺乳類として進化してきた私たちには、爬虫類には見られない、未熟な子供を長い期間をかけて育てるという「養育行動」が備わってます。
子どもが苦痛の泣き声を上げれば、その子のニーズを満たしてあげようとします。
つまり思いやりや愛情を交わすことは哺乳類の中心的な資質であり、私たち人間に組み込まれた力なのです。
仲間と一緒に助け合いながら仕事をするのが好きなのも、その一つでしょう。
ですが、現在私たちはリモートワークという形に移行しているため、なかなかこの「思いやり欲求」を満たすチャンスが減っているのではないかと感じます。
もっと近くにいたら、表情を見て、声色に苦痛がないか耳を澄ませ、労ってあげられるのになぁと思うことがしばしばです。
もっと近くにいてくれたら、私の大変さを労ってもらい、声をかけてもらい、話を聞いてもらえるのになぁと思うこともしばしばです。
チームの中でこの「思いやり欲求」を満たし合うようなチャンス、増やしていけたらいいですね!