こんにちは。
そろそろ春の兆しが感じられ、新しい季節に向かって気持ちもワクワクしてきますね。
ところで昔から「春は出会いと別れの季節」なんて言いますが、皆さんも「年度末を潮時に…」といった何らかの決断をしようとしていることがあるかもしれません。
もちろんそれが前向きな気持ちからであればよいのですが、それはもしかして「ずーっと溜めてきた不満のスタンプを景品に換える」行為ではありませんか?
私たちは何か不満を感じているとき、その原因となる問題を解決しようと試みるか、あるいは問題を先送りするか、という選択を行っています。
例えば、人材不足の中、複数のプロジェクトをマネジメントしなければならないAさんは、綱渡りの状態で毎日遅くまで頑張っていました。
ところがそんなとき、上司から「仕事の報告が遅い!」と叱られてしまいます。
Aさんは「ふざけるな!おれがどれだけ仕事を抱えているのかわかっているのか」と怒りを感じますが、「どうせあの人には言ってもわかってもらえないし…」「下手にたてつくと立場が悪くなるし…」などと考え、最後は「いいやもう」と問題解決を諦めてしまいました。
まるでその場では自分が「怒りを収めた大人」として振る舞うことができ、うまくやっているような気がしていますが、決してそうではありません。
その証拠に、そのときのことを後から思い出してはむかむかして、少しも気持ちよく過ごせていないのです。
再びその上司と顔を合わせたときも、嫌な気持ちがまた湧き起ってきます。
こんなふうにして「またあの人に嫌な思いをさせられた」「また私が譲ってやった」というような気持ちを味わうたび、私たちは心の中の「不満のスタンプ帳」にスタンプをペタッ、ペタッと押していくのです。
そうして溜めに溜めたスタンプでスタンプ帳がいっぱいになると…
そうです、「景品」と交換しようとするのです。
「もうここにいても何にもならないさ」
「私がいなくなって私の大事さに気づけばいいのよ!」
退職する、別れを突きつける、といった具合に、一切の関係を断ち切る形で、これまでの不満をすべて清算しようとするのです。
あるいは、無理に無理を重ねた挙句、ある朝ベッドから起き上がれない自分に気づく、といったような、心身の病気という形であらわれるかもしれません。
その都度その都度、問題解決を行う努力を先延ばしにした結果、あるときとても極端な形で、それまで積み重ねた問題を一気に表面化させることになってしまうのです。
これは自分自身にとって、なにより損なことと言わざるを得ません。
理想的な職場、理想的なパートナーはそうそう転がっていませんから、1つずつの問題に対して対処する姿勢を持たない限り、新しい職場やパートナーを手にしたとしても、同じことを繰り返しかねません。
アサーティブに対処するというのは、この「問題の芽が小さなうちに1つずつ対処する」という姿勢です。
これからの新しい季節を気持ちよく過ごせるように、ご自身がいつの間にか「スタンプ集め」をしていないか、心の中をそっと点検してみませんか?