さて今回は、「対等な話し合い」について考えてみたいと思います。
アサーティブな対話は、自分と相手が「対等」に話し合うことを重視します。
それは具体的にはどういうことでしょうか。
たとえばマネジャーのAさんは、チームのベテランメンバーBさんに対して、一言伝えたいことがあります。
Bさんは、技術的にはとても優れていて頼りになるのですが、話し方にずいぶんトゲがあり、Aさんは話すたびに不愉快な思いをしています。
メンバーみんなも、「Bさんとは話したくないよな」と言っており、Aさんの感じていることは自分の思い違いではなさそうです。
そんなとき、どう切り出してしまいがちかというと…
Aさん「Bさん、あなたの話し方はちょっとトゲがあるんじゃないかな…」
(Bさんが眉をひそめたのを見て焦る)
Bさん「トゲですか。僕はそんなつもりはありませんけど」
Aさん「いやでも、みんなもBさんとは話しにくいって言ってるしね…」
Bさん「えっ、いったいそんなこと誰が言っているんですか!」
おっとっと。
Aさんは反論されたことで焦り、自分の主張を補強するために、「みんな」にご登場願ってしまいました。
言われた側としては、「自分の知らないところで自分の悪い噂が流れていたのだ」と傷つき、孤立感でいっぱいになり、攻撃的になってしまわざるを得ません。
Aさんが自分の伝えようとしていることが「正しい」のかどうかが不安になる気持ちはわかります。
「もしかして自分が敏感すぎるだけなのかもしれない」
「こんなふうに感じてしまう自分がおかしいのでは」
こんなとき、不安を払しょくしようとして、心の中で「証拠集め」をしてから話し合いに臨むのはよくありません。
「だって○○さんも、△△さんには困っているって言ってたし…」
「常識的に考えて、この人の立場ならこうしなきゃおかしいはずだ…」
こんなふうに証拠集めをした後は、必ずやその証拠を相手に突きつける対話となってしまいます。
アサーティブな対話は、相手が「有罪」であることを証明する対話ではありません。
「正しい」か「正しくないか」に基づく必要はなく、あなたが自分の感じることを大事にするなら、それで十分なのです。
Aさんは、改めて対話に臨むことにしました。
Aさん「Bさん、私にはあなたの話し方がキツく感じられることが多いんだ。言っていることは『その通りだな』と思うんけれど、言い方にトゲを感じることがあって、それで素直に受け止められなくなってしまうんだよ。」
Bさん「え、僕は別にそんなつもりはありませんけど…」
Aさん「そうなんだね。ただ私はあなたと話したあと、気持ちを落ち着けるのにすごくエネルギーを使っていたんだ。それが苦痛だったんだよ」
Bさん「そうですか…。そんなこと言われたのは初めてなのでショックです」
Aさん「そうだよね。私も今まで言わずにきて悪かったと思う。Bさんにはこれからもチームの中心メンバーとして頼りにさせてほしいし、腹を割って話がしたいと思っているから、もしよければ、これから言い方が気になったときに、それを伝えてもいいだろうか」
Bさん「わかりました。私としてもあなたに不快な思いをさせるのは不本意ですから、ぜひ教えてください」
Aさん「ありがとう。そう言ってもらえるととても気が楽になるよ。」
いかがでしょうか。
今度はAさんはBさんを攻撃的にさせることなく、自分の伝えたいことを理解してもらうことができました。
「みんなそう言っているよ」とか、「○○さんもこう言っていた」という伝え方が、自分の主張の客観性を保証するように感じていたかもしれません。
しかし、それは「その他大勢」を自分の主張の重みづけに使うことであり、1対1のはずの話し合いに、頭数をそろえて、数で押し切ることに他なりません。
50-50(フィフティ-フィフティ)の話し合いこそ、相手の心を開くことにつながります。
さあ、勇気をもって「あなた一人」で、話し合いに臨んでみませんか!