私たちは毎朝職場にきて「おはようございます」とあいさつを交わしますが、これは何のためでしょう?
まさか文字面通りに「時間が早いですね」と確認しているわけではありません。
「いらしてますね、私も来ましたよ」と、お互いがそこにいることを認めている、存在の認知をしているわけです。
これを交流分析では「ストロークを交換した」と考えます。
ストロークという、自分を認めるボールを一回投げてもらった、とイメージしてみてください。
短い挨拶から、長いおしゃべりまで、あるいは手を振ること、会釈することといった非言語的なやりとりまで、私たちが行うどんな交流も、それはストロークの交換であるわけです。
「おはよう」といったのに、相手はあなたがそこにいないかのようにプイッと席を立ったら、あなたは大変居心地の悪い思いをするでしょう。私たちにはストロークが必要で、それが得られないと欠乏感を持ちます。
それに、あいさつは昨日したからといって今日はしなくていいかというとそういうものでもありません。
さながら体が常に水と食べ物を必要とするように、心は常にストロークを必要としています。私たちは認められることへの飢えを持っているのです。
受け取った人が気持ちいいと経験できるものをポジティブなストロークといい、受け手が痛みを経験するものをネガティブなストロークといいます。
にこっと笑顔で「おはようございます」と言ってもらえればポジティブなストロークですし、眉をひそめてきつい目つきでにらまれたらネガティブなストロークです。
ここで興味深いのは、私たちはポジティブなストロークのみを求めて、ネガティブなものを回避するかというとそうでもないのです。
相手の関心がまったく向けられないよりは、不愉快な関わりでも「ないよりはまし」というわけです。
子どもの振る舞いからしても、親に構ってもらえないと黙っていたずらをして、あとで怒られるというネガティブなストロークを引き出すことがありますね。
もちろんポジティブなストロークで満たされれば一番いいのですが、それが思うように得られない場合は、ネガティブなストロークを引き出しにかかります。
たとえば相手がこちらのことを考えずに仕事を進めているように思えるようなとき、
「ちょっと、これどうなっているんですか!」
「そんなの聞いてないよ。なんで早く言わないわけ?」
などなど、あえていざこざを生みそうな言いっぷりで口火を切ってしまうことはありませんか。
そんな入り方をすれば、相手からのムッとした表情やこちらに対しての逆襲など、ネガティブなストロークが返ってきそうなことは目に見えているのですけどね。
そうやって、本当は相手に尊重され、気持ちいいやりとりで心を満たしたかった代わりに、とげとげ、イライラする気持ちを味わって、飢えをしのいでいるのです。
ちょっと胸に手を当てて考えてみると、本当にその人と交わしたいやりとりは、「いい感じだね」とか「助かります」などの、お互いを認める言葉と笑顔だったかもしれません。
なんだか最近ネガティブなストロークの交換が多いなあと思い当った方は、本当にほしかったポジティブなストロークを、まず自分から相手に届けてみてくださいね。