さて、「怒り」の感情は、私たちにとって扱いが難しい感情です。
自分が怒りに突き動かされているときは、自分でそのエネルギーを持て余してしまいます。
「さっきの言い方はひどいじゃないか、いくら上司だからってあんまりだ、大体自分がどれほどの人間だというのか、あの人はいつもこうだ、こないだだって…」など、頭の中は恨みつらみの言葉で溢れ、知らず知らずこぶしを握りしめ、眉間にしわが寄ってしまいます。
目の前の仕事に集中したくても、オフの時間をゆっくり楽しみたくても、さっと怒りがあなたの心を覆い、あなたが本来したいことから違う方向へ、無理やり目を向けさせるかのようです。
他人が怒っているときも、どうしていいかわからなくなります。
「何をされるかわからない」という恐怖や、「怒らせてしまった」という罪悪感、「そんなに怒らなくていいのになんだよ」という怒りなど、あなた自身の感情も揺さぶります。
こんなふうに、「怒り」という感情の強烈さに、手の出し方がわからなくなってしまうのです。
そこで、ぜひ一つ皆さんに知っておいていただきたいのは、「怒りは二次的な感情である」ということです。
怒りは、他の感情が溜まったときや、他の感情をごまかすために、便利に使い回されてしまう感情です。
たとえば…
- こどもの帰りが遅いことを「心配」して「心配」して、やっと帰ってきたとき…
- 同僚に「今度こそやってほしい」と依頼していたのに、やはりやってくれず、ひどく「がっかり」したとき…
- 部下からの事前説明が足らず、お客様に聞かれて答えられなくて「恥ずかしい」思いをしたとき…
- 友人や家族から、自分で気にしていることを言われて、ぐさっと「傷ついた」とき…
どうでしょう、全て「怒り」につながりませんか?
もともとは、「心配」や「がっかり」、「恥ずかしい」や「傷ついた」という気持ちだったのに、それは容易に「怒り」に転じてしまいます。
また、特に男性は、「怒っている」=「強い」、「悲しい、心配、傷ついたetc.」=「弱い、女々しい」といった社会的なイメージから、「怒り」の表現を選びやすいのです。「怒っておけば格好がつく」というわけですね。
そこで、「怒り」が覆っている、もともとの感情を探してみてください。「怒り」以外の感情を見出すと、その人の「interest(関心)」にアクセスしやすくなります。つまり、そこに満たされるのを待っているニーズがあるはずなのです。
自分の「怒り」に翻弄されそうなときは、「私はなんでこんなに怒っているんだろう」と、少し立ち止まって考えてみてください。
すると、「ああ、私は不安だったんだな」とか、「あの言葉に傷ついていたんだな」など、気づくことがあるかもしれません。
同じく、他人の「怒り」に振り回されそうなときは、「この人の『怒り』には、どんな感情が隠れているんだろう」と考えてみてください。
すると、「ああ、心配してたんだな」「そうか、がっかりさせてしまったんだな」と気づくことがあるかもしれません。
怒り以外の感情に気づけたら、解決に向けてコミュニケーションが図りやすくなります。
「私はこれまでの経緯を聞いてとても不安になったよ。このあとどうなるかきちんと説明してくれ」
「私はあの結果がとても悔しかった。次はこうならないようにしっかり準備しようよ」
「ご心配おかけしました。ただ、予定通り進んでいますのでご安心ください」
「がっかりさせてごめんね。でもやっぱりその期待に応えるのは難しいよ」
などなど、怒りの後ろに隠された、本来の感情を言葉にする/本来の感情に応えることで、建設的な対話が生まれやすくなります。
さあ、これからは「怒り」のエネルギーにおびえる前に、「その怒りにはどんな感情が隠れているんだろう?」を探してみてください!