私は趣味で競技ダンスをしているのですが、練習場でときどき「やめてくれ~」と思う状況にでくわします。
それは何かというと、パートナー同士の言い争い。
それも、建設的なケンカというよりは、一方的な非難や罵倒を繰り返しているような姿です。
先日も「なんでそこでそうやって動くの!!」とか、「もう、どうしてこうしないのよ!!」というようなキンキン声を聞かされて、ほとほとうんざりしてしまいました。
もちろん、「もっとうまくなりたい」「競技会で勝ちたい」という上昇志向や目的意識があるゆえのことだとはわかります。
自分にも身に覚えはありますし、その思いはある意味とても「正しい」ので、一見文句のつけようはありません。
だけどその思いから生じる言動をぶつけられるパートナーの相手はたまったものではないでしょう。
部外者の私でさえも、余波で十分ダメージを食らうのですから。
それに本人も、あまり楽しくないように思うのです。
楽しいはずの趣味の時間を、不満ではちきれそうになって過ごすのですから。
こんなふうな、一見正しそうな、でも自分や周囲を苦しめるものはどこからきているのでしょう。
これは私たちが持つ、心の中の「信念」が関わっています。
しかもそれが、「非合理な信念(イラショナル・ビリーフ:irrational belief)」になっている場合でしょう。
イラショナル・ビリーフとは、「ねばならない」「べきである」というmust、shouldに代表される要求や命令、絶対的な考え方のことをさします。
以下はイラショナル・ビリーフの例です。
あなたはどのビリーフが当てはまっていますか?
- 私は完全でなければならない。間違いをしてはいけない。
- 私は人より優れていなければならない。勝たなければならない。
- 私は成功しなければならない。優れた成果を収めなければならない。
- 私はすべての人に好かれなければならない。
- 私はいつも人を喜ばせなければならない。
- 人生は公平でなければならない。
- 人は私の思い通りにやらせてくれるべきである。
- 人は私を正しく評価するべきである。
- 私が人のためにする行為を、彼らは感謝するべきだ。
- 人生は楽しむべきものでなければならない。
これらは、私たちが、自分自身や他人、人生そのものに対して当然のように求める要求ともいえます。
しかしこれらが常に叶えられるはずはなく、無茶な要求であることはすぐにわかります。
度が過ぎた要求は「がまんできない」状態や不平不満、非難につながり、強い不快感に至ることになります。
「ねばならない」と、「こうありたい(あってほしい)」は違います。
自分や他人に「ねばならない」と要求を突きつけていることに気づいたら、「望ましいこと」に変えてみてください。
「勝たねばならない」ではなく、「勝ちたい。(けれど、同じくみんなも努力している。そう簡単には勝てなくても、気長に練習していこう)」。
「私は常に優れた成果を挙げなければならない」ではなく、「優れた成果を挙げたい。(ただしいつでもフルパワーで走り続けられるわけではない。
ときには休んでもよいし、たとえうまくいかなくても後々の糧になるはずだ)」といった具合です。
不快に感じたときに、自分にどんな要求(ねばならない)を突きつけているのかを自問してみてください。
そして、それを柔らかに変える言葉を探してみてくださいね。